去年の初春と初夏に、母方の祖父母が順に亡くなった。
住人がいなくなった八王子にある祖父母の家は、この夏に取り壊される予定で、半年前くらいから母と母の弟たちが時間を見つけては片付けに行っている。
取り壊しの日も近付いてきたので、今日は私も母について行った。祖父母は体が不自由になってから15年近く、長年住んだこの八王子の家を空けて、八王子市内から少し離れたところにある、母の弟の家で暮らしていた。なので、『本町の家』と呼ばれるこの祖父母の家には、私も長らく行っていなかった。
この本町の家には、たくさんの思い出が詰まっている。おばあちゃんの家というと、私はこの家を想像する。私が中学を卒業するくらいまで、おばあちゃんとおじいちゃんの家はここだった。
本町の家は、母が育った家であり、つまり終戦直後の日本を生きていた家である。私の母以外に3人の息子がいた祖父母の家の中は、古い木と畳と、煙草と埃と、灯油と汗が混じったような匂いがする。
今日、本町の家に着くと、もうすでに叔父が来ていて、とにかくたくさんある『物』に埋もれて立って笑っていた。
棚の中身を確認していくと、どれも見慣れたものばかり。このなんとも言えない懐かしい匂いのする空間で、掘っても掘っても出てくる物の山をひとつひとつ確認して、リサイクルできるものはリサイクル袋へ。ゴミはゴミ袋へ。持って帰るものは、使えるもの袋へと分けていく。
祖母は几帳面な性格で、家にあるものほとんどすべてをサランラップか透明のビニールで覆っていたので、どんなに埃にまみれていても、中身はそれなりに保存されていた。
それにしてもすごい量の物たち。たぶん戦争中を生きた人だから、物を捨てることができないのだろう。食器や衣類。何本もある新品の傘。各地のお土産品。缶から。缶詰食品。おばあちゃんが漬けた梅干し8瓶以上。子供や孫のおもちゃ。使ってないタオルの束。何本もの櫛やカーラー。叔父たちが小学生の時に使っていた筆箱。それぞれの子供達の卒業証書。何から何までとってあった。
そして収納の仕方が想像を超えていた。棚の後ろにまた棚があり、棚から竿を渡して小さな隙間に鞄やネクタイが吊るされていた。狭い家の中に最大限の収納スペースを作っている。
それぞれの棚には、懐かしいものがたくさん入っていた。私が小さな頃におじいちゃんがいつも使っていた緑の吹きガラスでできた灰皿。ビクターの犬の置物。
紙の束が入っている箱を見つけて、中を見てみたら、手紙や写真がたくさん入っていた。手紙はみんな身近な人たち、親戚などからの手紙だった。
叔父がおじいちゃん宛てに書いた手紙。私の父方の親戚がおばあちゃんに書いた手紙。写真には日付と映っている人の名前と撮った場所などが書かれていた。そして、その中には、私の母が幼児の時に書いた絵描き帳や、叔父が学生の頃にもらった賞状なども入っていた。
そこには、何から何まで保管されているようだった。まるで、もしも子供達が「あの時のあれ、どこに行った?」と聞いてきたら、いつでも出せるように用意しているように。
そしていろいろ思い出した。私が小さな頃、祖父母の家に遊びに行くと、「泊まってきな!」と必ず言われた。泊まって行くことにすると、使い捨て歯ブラシから、私と私の家族用の半纏、コップ、お茶碗、お箸、布団、すべてが揃えてあった。祖父母には子供が4人いて孫も結構いるので、それらみんなの分を用意していたとなると大変な量になる。でも、それを全て揃えていた。だから、布団も新しいのから古いのまで合わせるときっと20枚近くある。
祖母の生前に、母が「たくさんある布団はどうしようか」と聞いたらしい。すると祖母は「布団は財産だからね」と答えたそうだ。布団は古くなっても中の綿を出して、新しい布団を作ることができる。だから昔の人は布団は財産と考えていたそうだ。
身近な人たちそれぞれのたくさんの思い出の品々と、身近な人たちがいつか来たときに使うための道具が目一杯詰まった家。
おばあちゃんの家には、いつもなんとも言えない温かさと居心地の良さがあったのは、事実おばあちゃんの生き方がそんな風だったからなんだ、と分かった。
そして、おばあちゃんの「何としてでもあれもこれも取っておこう!」しかも、「日付や説明入りでいつか誰かが手にした時に分かるように!」という意気込みが伝わってくる収納法には、何かものすごい生きることへの情熱。そして、思い出への愛着と執着を感じた。
それは、=(イコール)エネルギーだと思う。もう亡くなってしまったけど、最後までものすごいエネルギーを持って、この人生を生き抜いたんだと思う。
仕事や芸術、会社や人間関係や財産など、人は色んな形で生きる情熱を表現するけど、おばあちゃんは、黙々と人生の記録を家に積み上げていた。
帰ったら、私も思い出の品々の裏側に、日付と由来を書こうと思った。
午後、祖父母が最後の15年近くを過ごした叔父の家に、保存するものを持って行った。すると、おじいちゃんが大事に育てていた柿の木がお化けのように大きくなっていた。
その家の住人である叔父は現在、転勤でいないので、おじいちゃんが大切にしていた畑はだれも世話をしていないのに、植物達はがぜん元気にやっていた。そして、柿の木には、山のように毛虫がついていて、バリバリと葉っぱを食べていた。この家の住人でない方の叔父が既に毛虫にやられて、かぶれていた。。。。
ここでも、私は生命力を感じて、頼もしく思った。もともと、この柿の木自体、おばあちゃんが作ったコンポーストの肥料に入っていた柿の種から出てきたものだと思う。
おじいちゃんは植物を育てるのが好きで、カボチャやトマトや、こんにゃく芋など色々育てていた。
おじいちゃんが亡くなっても、わさわさと柿の実と毛虫を付けて元気に生きてる柿の木。
これもまた、おじいちゃんの人生の記録。
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